ソチミルコの歴史
1352年、伝説の地チコモストクを旅立った7つのナワトラカ族のひとつが、ソチミルコを築きました。ソチミルコとはナワトル語で「花が植えられた土地」を意味します。彼らはこの地にチナンパを造りました。チナンパとは、アウエホテ(ヤナギの一種)の根の上に土を盛って造った区画で、野菜や花の栽培に使われ、区画の間には食料をカヌーで運ぶための水路が残されました。チナンパは、テノチティトランと同じように、ソチミルコの碁盤目状の街並みの基礎となりました。
メシカ族はソチミルカ族(ソチミルコの人々)に、現在のトラルパン通りにあたる大イスタパラパ街道の建設を命じ、さらに自らの大ピラミッドを築くための資材と労働力を提供させました。スペイン人はソチミルコのチナンパ農法を尊重しました。副王領時代、ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)の首都はこの農法によって食料をまかなっていたからです。また、テスココ湖とソチミルコ湖からは、年間100万匹以上の魚がもたらされていました。
フランシスコ会はこの地に5番目の修道院を建てました。サン・ベルナルディーノに捧げられたこの修道院は、16世紀末の建築の優れた例です。1891年ごろには、この地域の大農園主のひとりであったイニゴ・ノリエガが、有名なパセオ・デ・ラ・ビガを経由してソチミルコとイスタカルコを結ぶ小型蒸気船の航路を開設し、運賃は1回12センタボでした。ソチミルコはメキシコ革命にも積極的に関わり、革命を象徴する2人の人物、ビリャとサパタが会見した場所でもあります。
1910年から1920年にかけて、ソチミルコは観光地としての可能性に目覚め、船着き場の建設を始めました。ナティビタスの森では植林が行われ、苗木園も設立されました。1970年には、ディビシオン・デル・ノルテ通りの延伸と環状道路アニージョ・ペリフェリコの建設によって、市街地に組み込まれました。
出典:México Desconocido
